
ベストプレープロ野球で振り返る思い出の名選手たち

球史に残る名選手から、話題になったおもしろい選手。90年代活躍した選手を中心に紹介します。
あなたのべスプレにデータを入力してプレーしてみてはいかがでしょうか?
あのころを思い出しながらプレーするのも「ベスプレ」の醍醐味ひとつです。

■村田 兆冶(投手)ロッテ・90年引退
通算215勝をあげたロッテの大エース。ダイナミックな投球フォームは「マサカリ投法」と呼ばれた。
「人生先発完投」を座右の銘とし、先発完投にこだわった武骨な野球人生は「昭和生まれの明治男」と呼ばれた。
引退した今でも球速140km/hに届くストレートと落差20cmのフォークボールを披露し、ファンの度肝を抜いている。
2007年5月26日のプロ野球交流戦、ロッテ対横浜戦で始球式投手を務める。この時の球速は135km/hを記録したが、
これはこの試合の先発を務めた渡辺俊介の全投球よりも速いものだった…
1990年 決定版に収録(ラストシーズン)
■栗山 英樹(外野手)ヤクルト・90年引退
1984年、東京学芸大学からドラフト外でヤクルトスワローズに入団。
シュアなバッティングと俊足、体を張った守備で中堅手のレギュラー定着。1988年には規定不足ながら高打率を残し、
1989年にはゴールデングラブ賞を受賞。しかし1990年野村克也監督が就任すると、無名だった柳田浩一を抜擢し
中堅手に起用、レギュラーの座を追われ、さらにメニエール症候群に悩まされ、29歳の若さで現役引退。
その後は野球解説者、キャスターとして活躍している。
1990年 決定版に収録(ラストシーズン)

■田尾 安志(外野手)中日〜西武〜阪神・91年引退
俊足巧打の外野手として鳴らした。イチローが子供の頃に憧れた選手としても知られる。
1982年から1984年にかけて3年連続の最多安打もマークするも、一度も首位打者のタイトル獲得はならなかった。
2005年に東北楽天ゴールデンイーグルス初代監督に就任するも成績不振でわずか1年で退任。
1991年 決定版に収録(ラストシーズン)
■尾花 高夫(投手)ヤクルト・91年引退
1988年には開幕投手として巨人との開幕戦に先発し、東京ドームでのプロ野球公式戦勝利投手第一号となった。
コントロールが抜群で、一度も押し出し四球を記録しておらず、2203イニング連続押し出し四球無しはプロ野球記録。
引退後はヤクルト、ダイエー、巨人などで投手コーチとして才能を発揮。優勝請負人となった。
1991年 決定版に収録(ラストシーズン)


■門田 博光(外野手)南海〜オリックス〜ダイエー・92年引退
40歳を超えても活躍した数少ない選手。「不惑の大砲」の異名を持つ。
通算567本塁打は王、野村に次ぎ史上3位の記録。
オリックス時代の1989年9月25日のダイエー戦。本塁打を打ち、ホームで出迎えたブーマーからのハイタッチに応じた際、
ブーマーの怪力により右腕を脱臼。優勝争いをしていたシーズン終盤での貴重な1週間を棒に振る…。
1992年 決定版に収録(ダイエー時代・ラストシーズン)
1990年 決定版に収録(オリックス時代・31本塁打と活躍)

■達川 光男(捕手)広島・92年引退
広島黄金時代を支えた名捕手ではあるが、数多くのトリックプレーを生み出し「珍プレー好プレー」の常連であった。
引退試合となった1992年10月4日の対巨人戦では、代打に起用されて涙をこらえながら打席に立ち、
ファンの感動を誘った。なお、マスコミに対して引退を発表したのが試合開始前後であり、
球場では発表されていなかったため、球場の観客は何故達川が打席で涙をこらえているかがわからなかった。
1992年 決定版に収録(ラストシーズン)
1991年 決定版に収録(広島優勝時)
■高沢 秀昭(外野手)ロッテ〜広島〜ロッテ・92年引退
1988年の首位打者。最多安打も記録した。落合の中日移籍後は主軸としてロッテを支えた。
1988年伝説の「10.19」ダブルヘッダー第2試合では8回裏に近鉄の優勝を打ち砕く同点ホームランを阿波野より放つ。
近鉄の勝利目前でのこの一打は、試合とともに今もなおプロ野球ファンの間で語り継がれている。
当の高沢は後日談で「近鉄の立場はわかるし、自分の球団が優勝争いをしていた訳でないが、
ロッテのため、自分のために打った」と彼らしい泰然自若とした受け答えをした。
1992年 決定版に収録(ロッテ時代・ラストシーズン)
1990年 決定版に収録(広島時代)

■杉浦 亨(一塁手、外野手)ヤクルト・93年引退
1970年にドラフト10位で投手として入団。その後、打者に転向し下位指名選手ながらレギュラーに定着。
一番の思い出は、92年日本シリーズ第1戦の延長12回裏満塁で代打で登場。L鹿取からサヨナラ満塁ホームラン
打った瞬間それと分かる、ライトスタンド一直線の打球に当時幼かった管理人も大興奮、そして感動した。
40歳まで現役。ヤクルト一筋22年。通算224本塁打。広沢に破られるまでは球団最多本塁打記録保持者だった。
1993年 決定版に収録(ラストシーズン)
1992年 決定版に収録(日本シリーズ第1戦、代打サヨナラ満塁ホームラン)

■八重樫 幸雄(捕手)ヤクルト・93年引退
1970年ドラフト1位で入団。レギュラーに定着できず、入団16年目の85年に打率3割で初めてベストナインに輝く。
通算100本塁打到達までのスロー記録保持者。100号達成時には普段は出てこない野村監督がベンチ前で迎えた。
あの個性的な打撃フォーム。少年野球をしていたみんなが真似していました。もちろん、僕も真似しました。
SMAPの中居正広がTV番組でバッティングフォームを真似していた。また、それは八重樫打法とも呼ばれる。
1993年 決定版に収録(ラストシーズン)
1985年 決定版に収録(打率3割、初めてベストナインに輝く)
■牛島 和彦(投手)中日〜ロッテ・93年引退
高校時代は浪商高校でドカベン香川とバッテリーを組み、春夏甲子園出場を果たした。79年のドラフト1位で中日に入団。
86年オフ、落合博満と1対4の世紀の大型トレードでロッテへ移籍。移籍初年の87年は最優秀救援投手に輝く。
90年には長年の酷使により右肩がパンクし、ほぼ1シーズンをリハビリに費やす。同年と翌91年は未勝利に終わった。
92年には3年ぶりとなる勝ち星(3勝)を挙げるが、翌93年に現役引退。13年間のプロ生活を終えた。
1993年 決定版に収録(ロッテ時代・ラストシーズン)
1992年 決定版に収録(怪我から復活・3年ぶりの勝利)


■野茂 英雄(投手)近鉄・94年退団
90年入団。独特のトルネード投法で1年目から旋風を巻き起こした。愛称は「ミスターK」
94年オフに鈴木啓示監督との確執、契約問題などから近鉄を退団することになったが、
まさかメジャーリーグに挑戦するとは思わなかった。当時、臨時ニュースを見て驚いた。
さらに驚かされたのは翌年のメジャーでの大活躍。メジャーのオールスターでも先発。
1994年 決定版に収録(日本球界ラストイヤー)
1990年 決定版に収録(ルーキーイヤー・最多勝獲得)

■パンチ佐藤(外野手)オリックス・94年引退
野茂と同期!こちらもドラフト1位入団。実は野茂の外れ1位だった。
野球の成績よりもキャラクターの人気が先行していた。
94年は仰木監督のアイディアでイチローとともに「パンチ」に改名。
守備は食えないが打撃センスはあっただけにもっと出場機会があれば…。
1994年 開幕版に収録(ラストシーズン)
1990年 決定版に収録(ルーキーイヤー・代打で活躍)
■北別府 学(投手)広島・94年引退
カープ投手王国を支えた20世紀最後の200勝投手。コントロールが抜群で典型的な変化球ピッチャーだった。
晩年は球威が無く93,94年と打ち込まれるケースが多かったが精神力でカバー。
1994年 決定版に収録(ラストシーズン)
1991年 決定版に収録(広島優勝時)
■宇野 勝(遊撃手)中日〜ロッテ・94年引退
中日時代の「おでこキャッチ」はあまりにも有名(実際にはキャッチしていないが…)ここばかり目立っているが、
ホームラン王に輝くなど実績は抜群。移籍した1993年にはロッテからオールスターに選出される人気ぶり。
1994年 開幕版に収録(ロッテ時代・ラストシーズン)
1990年 決定版に収録(中日時代)


■原 辰徳(三塁手)巨人・95年引退
永遠の若大将。95年はほとんど代打中心の控えに甘んじた。
しかし引退時代でホームランを放つなど勝負強さは健在だった。
引退セレモニーでの「私には夢の続きがあります」いまでも忘れません。
1995年 決定版に収録(ラストシーズン)
1992年 決定版に収録(4番として活躍した最後のシーズン)
■屋鋪 要(外野手)大洋・横浜〜巨人・95年引退
大洋時代は加藤博、高木豊とスーパーカートリオとして活躍。1994年に巨人に移籍。「巨人軍は紳士たれ」を
モットーとする球団の規則としてヒゲを生やすことは禁止であったが、長嶋監督がそのヒゲを気に入ったこともあり、
長嶋の配慮に球団も特例を出し、日本人では初めて巨人でヒゲを剃らずにプレーした選手となった。
現在の所ヒゲを剃らなかった巨人の日本人選手は門奈のように監督命令で生やした者を除いては屋鋪のみである。
1995年 決定版に収録(ラストシーズン)
1990年 決定版に収録(主軸として活躍)
■加藤 哲郎(投手)近鉄〜広島〜ダイエー・95年引退
宮崎日大高から1982年のドラフト1位で近鉄バファローズに入団。中継ぎとしてチームに貢献。
加藤哲郎の代名詞といえばやはり「ビックマウス」野球の成績よりも加藤の発言の方が印象に残る。
1989年巨人との日本シリーズ、近鉄の2連勝で迎えた第3戦に先発し見事勝利投手となる。
しかし、問題の「巨人はロッテより弱い」発言。それを機に近鉄は4連敗してしまい、球団初の日本一にはなれず。
加藤はシーズン終了後「不幸の手紙が自宅にだけでも1週間で300通届いた」と後に語っている。
「巨人はロッテより弱い」発言は球史に残るビックマウスとしてファンの記憶に残る。
1989年 決定版に収録(近鉄優勝・日本シリーズではあの事件が…)
■真弓 明信(遊撃手・二塁手・外野手)太平洋・クラウン〜阪神・95年引退
全盛期は史上最球の一番打者と称されていた。1979年に田淵幸一らとの「世紀のトレード」で若菜らとともに
阪神に移籍。長打力のある1番打者として活躍し、同年5月20日にはサイクル安打を達成する。
1994年には代打の切り札として17安打で30打点と驚異的な勝負強さを発揮した。
1995年 決定版に収録(ラストシーズン)
1990年 決定版に収録(主軸として活躍)
■大久保 博元(捕手)西武〜巨人・95年引退
愛称は「デーブ」。代打サヨナラホームランを放つなど記録よりも記憶に残る選手。
引退した、この時29歳。早すぎた引退であった。2010年になって暴行騒動で世間を騒がせた。
1995年 開幕版に収録(ラストシーズン)
1992年 決定版に収録(正捕手として活躍したシーズン)


■荒木 大輔(投手)ヤクルト〜横浜・96年引退
96年にヤクルトから横浜に移籍したが、この年限りで引退。
甲子園のアイドルとして「大ちゃんフィーバー」を巻き起こした。
晩年は直球が130キロ中盤しか出てなかったが気力とガッツでカバー。
ヤクルト時代の94年に横浜の怪人ブラッグスに死球を与えたシーンが印象的。
1996年 開幕版に収録(横浜時代・ラストシーズン)
1992年 決定版に収録(ヤクルト時代・1541日ぶり涙の復活)
■金森 栄治(外野手)西武〜阪神〜ヤクルト・96年引退
体に近い投球が来ると叫ぶ。そのデッドボールの多さから、「東の金森、西の達川」と呼ばれていた。
中には自分から当たりにいっているようなものもあった…そのため怪我が非常に多い選手であった…
一番の思い出は阪神時代の1988年、対大洋戦(阪神甲子園球場)で外野への飛球をグラブに収めようと、
当時まだあったラッキーゾーンのフェンスによじ登る。しかし無常にもボールには届かなかったばかりか、
バランスを崩しラッキーゾーンの内側に転落してしまった。その瞬間アナウンサーは「金森も入った!」と絶叫。
この場面は「珍プレー好プレー」で何度も取り上げられた。
1995年 決定版に収録(ヤクルト時代・代打の切り札として打率.324の活躍)
1991年 決定版に収録(阪神時代)
■長嶋 一茂(三塁手)ヤクルト〜巨人・96年引退
96年前半は新外国人マントの不調でスタメン起用も多かったが結果は出せなかった。
ヤクルト時代も外国人とのポジション争いに勝てず控えに甘んじていたが、もっと力を出せたはず。
野球センスはあっただけにある意味不運な選手。
1996年 開幕版に収録(ラストシーズン)
1991年 決定版に収録(ヤクルト時代)


■吉井 埋人(投手)近鉄〜ヤクルト・97年退団
1983年ドラフト2位で近鉄入団。1988年は抑え投手として活躍し、10勝24セーブで最優秀救援投手のタイトルを獲得、
伝説の「10.19」決戦でも登板した。1989年にも5勝20セーブの好成績を残した。1993年からは先発投手に転向した。
1989年の優勝決定時には抑えの切り札・吉井ではなく、先発要員のエース・阿波野が登板し胴上げ投手となった。
ロッカーで吉井が暴れ狂い、権藤コーチがなだめたという。この采配により仰木監督との関係が悪化した。
1995年に西村龍次とのトレードでヤクルトに移籍。ヤクルトでは先発陣の一角として活躍し、優勝に貢献した。
近鉄時代の後輩にあたる野茂英雄の助言を受けてフォークボールを習得したために成績が伸びたと言われている。
1997年オフにFA宣言。中日、巨人、西武など国内の球団からの誘いを断り、1998年にニューヨーク・メッツに移籍した。
1997年 決定版に収録(ヤクルト優勝・近鉄時代実現しなかった胴上げ投手に)
1989年 決定版に収録(近鉄優勝・抑えの切り札として活躍)
■内藤 尚行(投手)ヤクルト〜ロッテ〜中日・97年引退
ご存じギャオス内藤。ヤクルト時代、考える野球には否定的で野村監督によく怒鳴られていた。
そんな野村監督も「でもお前のようなムード野球も必要や。まあ、がんばれや」と激励したことも。
その証拠に野村政権時には2度の開幕投手、92年には抑えの切り札に指名された。
一番の思い出は93年9月2日の中日戦15回裏に無死満塁からパウエル、落合、彦野を三者三振。
1993年 決定版に収録(ヤクルト時代・天王山でのクリーンアップ三者三振)
1995年 開幕版に収録(ロッテ時代・開幕ローテーション入り)
■亀山 務(外野手)阪神・97年引退
一塁への果敢なヘッドスライディングで「平成のスライディング王」の異名を取った。
目覚まし時計を10個以上鳴らしても防げないという寝坊による常習的な遅刻癖で物議を醸した。
晩年は怪我で成績も低下。甘いマスクでありながらも肥満の傾向があったことも怪我の要因に。
人気者であったが28歳の若さで現役引退。内藤同様にもったいないキャラクターだった。
1992年 決定版に収録(ゴールデングラブ賞受賞)
1994年 決定版に収録(1番打者として活躍・オールスター出場)


■落合 博満(一塁手・二塁手)ロッテ〜中日〜巨人〜日本ハム・98年引退
通算510本塁打。3度目の三冠王を獲得した大打者。その打棒についてはもはや説明は不要だろう。
1986年オフに牛島和彦・上川誠二・平沼定晴・桑田茂の4選手との1対4のトレードで中日に移籍。
1994年、FA宣言により読売ジャイアンツに移籍。長嶋茂雄監督率いるチームの2度のリーグ優勝に貢献。
1996年オフに清原が巨人へ入団したため、出場機会を求めて自由契約になり日本ハムに移籍する。
イチローとの首位打者争いを期待されたが、年齢から来る衰えを隠せず大不振に陥る。
1998年は優勝して有終の美といきたかったが後半戦にチームもこけてしまった。
1998年 決定版に収録(日本ハム時代・ラストシーズン)
1991年 決定版に収録(中日時代・本塁打王獲得)
1994年 決定版に収録(巨人時代・日本一)

■広瀬 哲郎(遊撃手・三塁手)日本ハム・98年引退
打撃は弱かったが、守備力が高かった。遊撃のレギュラーだった田中幸を外野にコンバートしたのは後ろから、
広瀬の守備を見て、田中幸に勉強してほしいという首脳陣の考えから行われた。
一塁へのヘッドスライディングやスキンヘッドの風貌も人気に。そのキャラクターから「珍プレー好プレー」の常連だった。
打席での登場曲は「寅さん」だった。これほど「寅さん」が似合う選手はいない。
1993年 決定版に収録(1番バッターに定着・ゴールデングラブ賞獲得)
1996年 決定版に収録(サードコンバート・優勝争いに加わる)

■大野 豊(投手)広島・98年引退
ドラフト外で入団し、先発、抑えと大活躍。広島黄金時代を支えた左腕。
引退試合で146キロを出したことを考えるとまだできたのではないかと思う。
引退セレモニーでの「我が選んだ道に悔いはなし」には感動しました。
1998年 決定版に収録(ラストイヤー)
1991年 決定版に収録(広島優勝時)

■伊東 昭光(投手)ヤクルト・98年引退
1985年ドラフト1位で入団。ヤクルトのエースとして活躍。先発、中継ぎ、抑え全てをこなした。
1988年には関根監督に故障の高野に代わり抑えに抜擢され、18勝全てを救援にて記録し最多勝を獲得する。
一番の思い出は1996年5月17日巨人戦で吉村のピッチャーライナーを素手で止めた。
このプレーにより96年はシーズンを棒に振るが、ガッツあふれるプレーだった。
とんねるずの石橋貴明は、高校時代の野球部の先輩(2年上)にあたり、頭が上がらないようだ。
1998年 決定版に収録(ラストイヤー)
1993年 決定版に収録(ヤクルト日本一・チームトップ13勝をあげる)


■山本 和範(外野手)近鉄〜ダイエー〜近鉄・99年引退
ダイエー時代は94年中盤から「カズ山本」の登録名で人気者に。
近鉄に移籍した96年オールスターで涙の代打ホームランでMVP。日本中が感動した。
99年の引退試合(事実上の)でもホームラン!その後静かにバットを置いた…
おもしろキャラクターとしてマンガ「あぶさん」に登場したこともある。
1999年 決定版に収録(近鉄時代・ラストイヤー)
1994年 決定版に収録(ダイエー・カズ山本時代)
■辻 初彦(二塁手)西武〜ヤクルト・99年引退
頭脳的野球で西武の黄金時代を支えた一人。90年代前半の球界を代表する二塁手だった。93年に首位打者獲得。
87年の巨人との日本シリーズでクロマティの緩慢な守備をつき、一塁から一気にホームインしたシーンが有名。
96年にヤクルト移籍。打率.333でリーグ2位。惜しくも両リーグ首位打者を逃した。
1996年 決定版に収録(ヤクルト時代・リーグ2位の打率.333をマーク)
1993年 決定版に収録(西武時代・首位打者獲得)
■小早川 毅彦(一塁手)広島〜ヤクルト・99年引退
80年代の広島黄金時代を支えた一人。江川に引退を決意させたHRで有名。
97年にヤクルト移籍。開幕戦で斎藤雅から3打席連続HRの離れ技。まさにリストラの星。
その後は代打の切り札として活躍も99年に引退。
1997年 開幕版に収録(ヤクルト時代・斎藤雅から3打席連続HR)
1991年 決定版に収録(広島優勝時)
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