「ベストプレープロ野球」助っ人外国人列伝
あの人にもう一度逢いたい。あの時の活躍をもう一度…ベスプレで再現。
プロ野球の歴史に助っ人あり。そして「ベストプレープロ野球」の歴史ににも助っ人あり。
大活躍でチームを優勝へ導いた助っ人から、あっという間に帰国してしまった選手。さらには一発屋まで。
1980年代から1990年代に活躍した懐かしい助っ人外国人を中心にを紹介します。
あなたのべスプレにデータを入力してプレーしてみてはいかがでしょうか?
1991年
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J・トレーバー(一塁手)近鉄・91年退団
2年目の1991年は、92打点で打点王を獲得し、ベストナインとゴールデングラブ賞に選ばれた。
トレーバーと言えば、1991年5月に秋田で行われた対ロッテ戦での乱闘シーンがあまりにも有名。
この乱闘の際にロッテの金田監督に、顔面をスパイクで蹴られたシーンは珍プレー・好プレーで何度も放送された。
1991年 決定版に収録
(ラストイヤー・打点王獲得)
1992年
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ブーマー・W(一塁手)阪急・オリックス〜ダイエー・92年退団
入団1年目から5年連続して3割を記録し、84年には打率.355、37本塁打、130打点で外国人選手初となる三冠王を獲得。
200cm、100kgの巨体からパワーヒッターを想像させるが、器用さと優れた選球眼を兼ね備えた打撃の名手であった。
阪急ブレーブスへの愛着は強く、「オリックス・ブルーウェーブ」としての初の公式戦に、
わざと「ブレーブス」のロゴのユニフォームを着てプレイしてみせたが、当初誰も気がつかなかった。
1992年 決定版に収録
(ダイエー時代・ラストシーズン)
1991年 決定版に収録
(オリックス時代)
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M・ディアズ(外野手・捕手・内野)ロッテ・92年退団
愛称は「ランボー」。外野手を始め、捕手、一塁手、三塁手もこなす万能選手だった。
捕手として出場する時はのちのメジャーリーガー伊良部とバッテリーを組むことが多かった。
来日以来2年連続「3割30本100打点」を記録したが、91年の怪我からは成績が低迷した。
1992年 決定版に収録
(ラストシーズン)
1990年 決定版に収録
(3割30本100打点と活躍)
1993年
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J・パチョレック(一塁手・外野手)大洋〜阪神・93年退団
1988年大洋に入団。打率2位、安打数1位という好成績を残し、外野手としてベストナインに選ばれた。
1992年からはオマリーの誘いもあり、阪神に移籍した。リーグ最多となる159安打で期待に応える活躍を見せた。
1993年当時は、外国人選手を3名以上出場選手登録することができなかったため、
パチョレック、郭李建夫、オマリーのうち1人が出場できないことがネックとなっていた。
マスコミはこれを当時国際問題になっていた国連平和維持活動のニュースにかけて“阪神PKO問題”と呼んだ。
1993年 開幕版に収録
(阪神時代・ラストシーズン)
1990年 決定版に収録
(大洋時代)
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J・バーフィールド(外野手)巨人・93年退団
メジャー通算241本塁打。鳴り物入りで入団。開幕当初はその実力通りのパワーを見せつけたが、
なんと変化球が打てないという弱点が発覚。以後は三振を連発し成績は下降した。
104試合で26本塁打はチームトップだったが打率はなんと.215という低さ。この年限りで退団。
1993年 決定版に収録
(ラストシーズン)
1994年
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H・コトー(外野手)巨人・94年退団
スキンヘッドに口髭の風貌が特徴。左キラーで当時の巨人が苦手にしていた中日の山本昌、今中に強かった。
一番の思い出は94年6月22日広島戦で頭部に死球を受け、広島・佐々岡投手が危険球退場となった。
よける際スキンヘッドのためにヘルメットが頭から滑り落ち、左側頭部に投球が直撃したが、
「スッポ抜け」の球であったせいかコトー本人は平然とし、苦笑いの佐々岡は「よけ方に問題が…」とコメントした。
たった1年間の短い在籍期間ながら、そのスキンヘッドのキャラクターと、大一番での活躍で印象を残した。
写真は09年WBCのキャンプ地にて原監督が15年ぶりに再会。なつかしい…っていうか変わってないなぁ。
1994年 決定版に収録
(ラストシーズン)
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B・トラックスラー(一塁手)ダイエー・94年退団
175cmと小柄ながら100kg近い体型もあって「コロコロちゃん」の愛称で親しまれた。スーパーマリオにも似ていた。
1994年前半戦は3割台をキープしダイエー打線の3番打者として大活躍したが、後半は攻め方を覚えられて失速。
翌年も残留が決定していたが、現役メジャーリーガー・ミッチェルの獲得が決まり、残留から一転解雇となった。
大のビール好きで知られ、その結果アルコール中毒による肝硬変で2004年11月19日、37歳の若さで急死。
大好きな酒が寿命を縮めることになった。早すぎる別れだった。
1994年 決定版に収録
(福岡のファンには記録よりも記憶に残る選手)
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D・グラッデン(外野手)巨人・94年退団
メジャー経験のある、俊足巧打の選手というふれこみで入団するも、守備はザルで肩も弱い、脚力も衰えていた。
一番の思い出は5月11日の神宮球場でのヤクルト戦の7回表、ヤクルトの西村の内角球がきっかけでの乱闘騒ぎ。
内角球に激怒し、捕手中西親志をキャッチャーマスクの上から殴り、中西もグラッデンの顔面をミットで殴り応戦。
本塁上で殴り合いとなる。金属製のマスクの上から殴った上、手加減無しで中西にアッパーカットを繰り出したせいか
左手小指と右手親指を骨折する。殴り合った中西も顔面を骨折した。このシーンは「珍プレー好プレー」の常連に。
1994年 決定版に収録
(ラストシーズン)
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M・ウインタース(外野手)日本ハム・94年退団
90年に日本ハムに入団。入団以来4年連続30本塁打以上と日本ハムの主砲として大活躍。
しかし、同時期に西武のデストラーデがいたために本塁打王を一度も獲得できなかった。
だが、ウインタースは3年連続でデストラーデに次ぐリーグ本塁打数2位という好成績だった。
ファンサービスとパフォーマンス(特にダンス)を忘れないスタイルは多くのファンに好かれ、
「踊るホームラン王」の愛称で親しまれた。「珍プレー好プレー」の常連だった。
大沢啓二監督もウインタースを気に入っていて、不動の4番として起用し続けた。
1994年 決定版に収録
(ラストシーズン)
1993年 決定版に収録
(首位に0.5ゲーム差の2位・自身も35本塁打と活躍)
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J・クラーク(外野手)ヤクルト・94年退団
.294 20本塁打と打撃はまずまずの成績だったが、当時「珍プレー好プレー」でよく紹介された
広島の佐々岡投手に対しての暴行が印象的。あの投げ技はすごかった。本当に野球選手か?
97年に弟が近鉄に球団するが、弟は温厚だった…
1994年 決定版に収録
(ラストシーズン)
1995年
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K・ミッチェル(外野手)ダイエー・95年退団
メジャー通算234本塁打。現役バリバリのメジャーリーガー。推定年俸4億円でダイエーに入団。
西武との開幕戦で83年の駒田以来史上2人目の初打席満塁本塁打を放つなど、メジャー屈指の
スラッガーにふさわしい打棒をみせていたが、故障が再発し無断帰国するなど問題を連発させた。
結局、2度目の無断帰国をした8月にダイエーはミッチェルを即刻解雇。もう少し見てみたかった。
1995年 開幕版に収録
(ラストシーズン)
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R・ブライアント(外野手)中日〜近鉄・95年退団
通算259本塁打。本塁打王3度獲得の大砲。東京ドームの天井スピーカーに当てた認定ホームランはあまりに有名。
史上最速の250本塁打達成など、1980年代後半から1990年代前半にかけてホームラン記録を次々塗り替えた。
一番の思い出は、1989年優勝争いをしていた西武とのダブルヘッダーでの4打数連続本塁打。倒れこむL渡辺久が
印象的だった。エディ・マーフィーに顔が似ていることから愛称は「エディ」。記録にも記憶にも残る選手。
1995年 開幕版に収録
(ラストシーズン)
1993年 決定版に収録
(本塁打王・打点王獲得、さらに204三振の日本記録)
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O・デストラーデ(外野手)西武〜マーリンズ〜西武・95年退団
90年代の西武黄金時代を支えたカリブの怪人。92年に一度退団しているが、95年に復帰。
子供の時からの夢だったというピッチャーもこの年経験。しかし、1アウトも取れず…
家庭の事情でシーズン途中で引退宣言。惜しまれつつ退団。
1995年 開幕版に収録
(ラストシーズン)
1992年 決定版に収録
(本塁打王獲得)
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J・ハウエル(三塁手)ヤクルト〜巨人・95年退団
来日1年目の92年前半戦は全く打てず解雇寸前だった。しかし、オールスター後だけで30本塁打の大爆発。
最終的には打率.331、38本塁打で首位打者と本塁打王を獲得。翌年は年間5本のサヨナラ打の日本記録を作る。
ヤクルト史上ベスト5に入る助っ人だが、95年に巨人に移籍をしたせいか、ファンには裏切り者のイメージが強い…
1995年 開幕版に収録
(巨人時代・ラストイヤー)
1992年 決定版に収録
(ヤクルト時代)
1996年
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T・オマリー(一塁手)阪神〜ヤクルト・96年退団
91年来日。阪神時代の93年に首位打者獲得。最後はバントヒットでタイトルを決めた。
95年にヤクルトへ移籍。日本シリーズではオリックス小林との14球は今も語り継がれる名勝負。
94年は甲子園のヒーローインタビューで「阪神ファンイチバンヤー」と叫んでいたが、
95年は神宮のヒーローインタビューで「ヤクルトファンイチバンヤー」と叫んでいた…。
1995年 決定版に収録
(ヤクルト優勝・MVP獲得)
1993年 決定版に収録
(阪神時代・首位打者獲得)
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G・ブラッグス(外野手)横浜・96年退団
93年6月2日から7月15日にかけて29試合連続でヒットを放つなど活躍。
94年にはセ・リーグ2位となる35本塁打(1位は中日・大豊の38本)を放ち、4番として大活躍。
筋骨隆々の体格であり、彫刻のような身体をしていた。当時、古田は鼻息だけでも怖かったという。
一旦怒らせると手の付けられない選手としても有名で、「珍プレー好プレー」の常連だった。
1996年 決定版に収録
(ラストイヤー)
1994年 決定版に収録
(35本塁打放ち活躍)
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R・チェコ(投手)広島・96年退団
広島カープドミニカアカデミーから1992年に来日。しかし外国人選手枠の関係で当時は練習生扱いだった。
1993年に一度、自由契約になったが台湾での実績を認められ、1995年に広島と正式に選手登録を交わした。
初登板で初完封初勝利を飾って鮮烈デビューを果たし15勝を挙げるが、オフに契約問題がこじれて訴訟にまで発展。
団野村が代理人となって週刊誌上で告発記事などが載り揉めた。結局1年間は広島でプレーすることで合意した。
背番号は「106」で、3桁の背番号だった事も話題になった。また、派手なガッツポーズや素手で打球をキャッチしたり
とハッスルプレーヤーでもあった。契約で揉めなければその雄姿をもっと見れたのだが…
1996年 開幕版に収録
(ラストイヤー)
1995年 決定版に収録
(15勝と大活躍)
1997年
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M・グリーンウェル(外野手)阪神・97年退団
通算打率3割のバリバリのメジャーリーガーで年棒3億円で入団。
阪神ファンの期待を一身に背負って活躍を期待されたが、骨折でわずか7試合出場し帰国。
本人いわく「引退しろと神様のおつげがあった」という迷言を残し帰国、そして引退。
1997年 開幕版に収録
(もはや伝説。最初で最後の雄姿を…)
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E・ヒルマン(投手)ロッテ〜巨人・98年退団
ロッテから年棒2億5000万円で移籍するも実際にはケガで2試合しか登板していない。
球史に残る伝説の迷言「左肩に小錦が乗っているようだ」は今でも語り継がれている…
1997年 開幕版に収録
(1試合1億2500万円也…)
1996年 決定版に収録
(この年までは輝いていたのに…)
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ルイス・S(三塁手)巨人・97年退団
台湾のイチローと言われて来日したが結果は散々だった。打てない・守れない。
守備が悪すぎる。ほんとにエラーが多かった。守備力Eに設定しているが、
あるんだったらこれ以下にしたかった。このころの巨人ってこんな外人ばっかりだったなぁ。
1997年 開幕版に収録
(翌年台湾球界では首位打者獲得…)
1998年
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D・ホージー(外野手)ヤクルト・98年退団
97年に来日。当初はノムさんに打てない・守れないと酷評されていたが開幕したらホームランを量産。
巨人・松井を抑えて本塁打王に輝く。ヘルメットにプリクラを貼りまくる奇行も話題に。
日本シリーズではドカベンの殿馬ばりのグリップエンド打法(偶然)を見せ、ファンを驚かせた。
しかし、2年目は攻め方を覚えられまったく打てず。わずか2年で無念の退団。しかし、インパクトは大。
1998年 決定版に収録
(ラストシーズン)
1997年 決定版に収録
(本塁打王獲得)
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J・フランコ(一塁手・二塁手)ロッテ〜インディアンス他〜ロッテ・98年退団
現役バリバリのメジャーリーガーとして1995年ロッテに入団。シーズン終了後、長打力不足(10本塁打)や
GMの広岡達朗との確執から解雇されたが、その際「ヒロオカが辞めたら帰ってくる」と言い残し帰国。
広岡解任後の98年に宣言通りに復帰した。その際、リーダーシップを買われ外国人選手としては珍しく主将を務めた。
バットのグリップを上に掲げ、バットの先を投手に向ける非常に個性的なフォームが特徴。
この打撃フォームをはじめたきっかけは「神のお告げがあったから」だと語っている。
1998年 決定版に収録
(二度目の来日・ラストシーズン)
1995年 決定版に収録
(一度目の来日・ロッテ2位と躍進)
1999年
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宣 銅烈(投手)中日・99年退団
韓国史上最高の投手と言われ1996年に巨人との争奪戦の末、鳴り物入りで中日に入団。
1年目はキャンプでの自己流の調整が失敗で開幕からの不調が続き結果が出なかった。
オフ返上や、日本流の調整を行い、背水の陣で臨んだ2年目の1997年に大変身。
同年は当時の日本記録となる38セーブを挙げ、佐々木(横浜)と共に最多セーブ投手。
また、丸顔と温厚な人柄から名古屋のアンパンマンと呼ばれた。
1999年 決定版に収録
(ラストシーズン)
1997年 決定版に収録
(セーブ日本記録樹立)
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