ベストプレープロ野球で振り返る宮本慎也


宮本慎也のプロ18年間をベスプレデータと共に振り返る

2012年5月4日に史上40人目の2000本安打を達成した宮本慎也。
その功績をたたえ、ベストプレープロ野球のデータと共に宮本のプロ18年間を振り返る。

宮本慎也プロフィール
1970年11月5日生まれ 大阪府出身
身長176cm 体重82 kg
PL学園高等学校〜同志社大学〜プリンスホテル〜ヤクルトスワローズ
1994年のドラフト2位で入団。入団から現在まで背番号「6」であるが、1994年公開の映画ヒーローインタビューで
真田広之演じる主人公の轟仁太が付けていた背番号であった為、当時は話題になった。



1995年 プロ入り〜開幕1軍デビュー



1994年プリンスホテルよりドラフト2位で入団。野村監督に守備を買われ、1995年開幕1軍入りを果たす。
1年目はほとんどが二塁の守備固めでの出場だったが、同年の日本シリーズは全試合に出場している。
4月13日、対中日3回戦の8回裏にキク山田からプロ初安打を放つ。この1本から宮本の2000本への旅が始まる。
1995年開幕版に収録
1995年決定版に収録



1997年 レギュラー定着〜初のゴールデングラブ賞獲得



1997年はそれまでの正遊撃手だった池山が三塁に回り、宮本が遊撃手としてレギュラーに定着した。
8番での出場がほとんどだったが、115試合出場で打率.282、1本塁打、33打点、16盗塁を記録。
またこの年、初めてのゴールデングラブ賞を獲得。守備の達人のイメージが定着したでも年であった。
1997年決定版に収録



2000年 初の打率3割達成



1999年までは打撃は期待できない、守備の人というイメージだったが中西太の指導で打撃が開眼し初の3割を記録。
また、プロ入り初の136試合全試合に出場を達成。スワローズに欠かせないひとりとなった瞬間であった。
2000年決定版に収録



2001年 スワローズ日本一〜シーズン67犠打の日本新記録樹立



前年の3割達成で打順が8番から2番に昇格。67犠打でシーズン最多犠打の日本記録を打ち立てる。
ちなみに、それまでの日本記録は巨人・川相の66犠打。また、シーズン67犠打は世界タイ記録でもある。
この年は4年ぶりにリーグ優勝を決め、日本シリーズでも活躍を見せた。
2001年決定版に収録



2004年 1000本安打達成〜アテネ五輪出場



6月23日、対横浜12回戦の8回裏にデニーから節目の1000本安打を達成。また、6月17日には250犠打を決めている。
この年のホームラン数は11本。宮本のキャリアで唯一ホームランが二桁のシーズンであった。
アテネ五輪では長嶋監督にキャプテンの指名を受され、予選では二塁のポジションを危なげなくこなした。
五輪本戦では本来の遊撃手として出場。チームトップの打率5割と大活躍し、銅メダル獲得の原動力となった。
2004年決定版に収録



2006年 第1回WBC日本代表選出



2006年のWBC代表に井口の代表辞退後に追加選出された。背番号は多村仁と重複のため10番をつけた。
準決勝の韓国戦では代打で安打を放つ。決勝のキューバ戦では9回に遊撃手として出場した。
シーズンでは開幕から好調だったものの怪我での2度の離脱により73試合出場にとどまった。
契約更改での球団からの提示額は500万円増だったが、自ら減額を申し出る。
その上で、差額の1500万円を、二軍の戸田球場の改修費用に充てるように球団に要望した。
2006年決定版に収録



2008年 1500本安打達成〜北京五輪出場



6月15日、対北海道日本ハム4回戦(札幌ドーム)5回表にグリンから史上97人目の1500本安打を達成。
また、シーズン途中から高田監督の方針で慣れ親しんだ遊撃から三塁へコンバートされる。
前回のアテネ五輪に引き続き、北京五輪に主将として出場。結果は残念ながら4位に終わりメダルを逃した。
2008年決定版に収録



2011年 4月に最年長月間MVP獲得〜初のベストナイン受賞



開幕から絶好調で4月の月間最多安打、最高打率.400を記録し、初めて月間MVPを受賞。
40歳5ヶ月での初受賞はリーグ最年長記録となった。133試合に出場し、打率.302を記録。41歳での3割は史上4人目。
守っても292回の守備機会で失策をわずか1つに抑え守備率.997を記録し、三塁手の守備率のプロ野球新記録を更新。
また、自身初のベストナインと3年連続のゴールデングラブ賞を受賞した。
2011年開幕版に収録
2011年決定版に収録



2012年 史上40人目の2000本安打達成



5月4日、対広島6回戦の2回裏に福井からセンター前ヒットを放ち、史上40人目の2000本安打を達成する。
41歳5カ月での達成は、従来の落合の記録を抜く最年長記録であり、大学・社会人を経ての2000本安打は、
かつてチームメイトであった古田に次いで2人目の記録であった。2000本はまだ通過点。宮本の旅は終わらない。
2012年開幕版に収録






このページは GeoCitiesです 無料ホームページをどうぞ